第06節
途絶えた繋がり、残された声

鳴海は待合室の中央に置かれた木製の長椅子に腰掛け、ゆっくりと周囲を見回した。土砂降りの雨音はまだ轟いているが、先ほどの雷鳴よりは幾分落ち着いている。しかし、駅の外の暗闇は、相変わらず閉ざされた世界を強調していた。

沢村は鳴海の隣に座り、手元のデジタルカメラを膝の上に置いていた。彼女の視線もまた、周囲を漂うように動いている。乗客たちは皆、不安げな表情で互いに視線を交わしたり、虚空を見つめたりしていた。

その中で、篠田麗子だけは異質な空気を纏っていた。高級ブランドのスーツは多少の乱れも見せず、しかしその顔には焦りの色が滲んでいる。彼女はスマートフォンの画面を凝視し、指先で執拗にスワイプを繰り返していた。電波が届かないことは既に周知の事実だが、それでも何かを期待するような仕草だった。

「やはり、繋がりませんね」

沢村が小さな声で呟いた。篠田の顔にスマートフォンの画面の光が淡く反射し、その冷徹な眼差しが一瞬、凍りついたように見えた。彼女は苛立ちを抑えるように、手に持ったスマートフォンをぎゅっと握りしめた。その指の関節が白く浮き上がっている。

「電波は駄目でも、せめて過去のログでも確認したいんでしょう」

鳴海は静かに答えた。篠田はふと顔を上げ、鳴海と沢村の方に視線を向けた。その表情は一瞬で無表情に戻り、先ほどの焦燥は跡形もない。

「何か、お困りですか?」

鳴海が問いかけると、篠田はわずかに首を傾げた。その声は、普段通りの丁寧さを保っていたが、どこか奥底に微かな硬質さが感じられた。

「いえ、ただ…世間との繋がりが途絶えるのは、あまり慣れておりませんもので。この状況では、取引先との連絡もままなりません」

彼女はそう言って、再びスマートフォンに視線を落とした。指先は画面上を滑り、通知アイコンの数字が全く動かないことを確認しているかのようだった。

その時、壁際に凭れていた橘浩一が、不意に口を開いた。彼のくたびれたジャケットのポケットからは、取材ノートが少しはみ出している。

「篠田さん、先ほど駅長が倒れているのを発見した時、何か変わったことはありませんでしたか?」

橘の問いに、篠田は顔を上げた。

「変わったこと、と申されましても…」

「例えば、駅長が生前、何か連絡を取ろうとしていた形跡とか、ありませんでしたか? 確か、駅長はいつも駅務室で、古い携帯電話を充電していましたよね。あの災害用の、ガラケーです」

橘の言葉に、森山恵美が頷いた。

「はい、鬼塚駅長は常に予備として、あの古い端末を持っていました。普段はほとんど使っていませんでしたが、いざという時のためだと」

篠田は少し考え込むように眉を寄せた。

「そういえば…駅長室に入る直前、駅長が誰かと電話で話していたような、かすかな声が聞こえたような気がします。しかし、私がドアを開けた時には、既に電話は切れていましたし、充電器に繋がれたガラケーには、着信履歴も発信履歴もありませんでした。ただ、画面は点いていましたね」

彼女はそこまで言って、口を噤んだ。

鳴海は静かに尋ねた。「その声は、男性の声でしたか? 女性の声でしたか?」

「いえ…そこまでは。物音と雨音で、はっきりとは。ただ、少し興奮しているような、いつもより甲高い声だったような気もしますが、定かではありません」

篠田は腕を組み、考え込むような仕草を見せた。

「もし、その古い携帯が使われていたのなら、充電器に繋がれていたというのも妙ですね。通話中であれば、そのまま持っているはず。それに、履歴が残っていないというのも…」

橘が取材ノートに何かを書き込みながら呟いた。

「いえ、古い携帯電話は充電しながらでも通話できますし、履歴の消去もできます。何より、あの携帯は災害時用に持ち出せるように、常に充電器に繋がれたまま机に置かれているのが常でした」

森山が冷静に指摘した。

「それに、駅長は最近、駅の再開発計画について、かなり神経質になっていました。多くの関係者と連絡を取り合っていたようですし、興奮した口調で話すことも珍しくありませんでした」

森山はそう言いながら、どこか遠い目をした。

鳴海は、沢村と視線を交わした。沢村は小さく頷いた。駅長の通話の可能性。そして、履歴が残っていないという事実。それが何かを意味するのか、あるいは単なる偶然なのか。矛盾の芽は、まだ小さく、その全体像は掴めない。

「確認ですが、駅長室の鍵は、内側からしっかりとかかっていましたね?」鳴海が森山に尋ねた。

森山は即座に答えた。「はい、間違いありません。私が最後に確認した時も、内側から施錠されていました。外からは開けられない状態でした。」

鳴海は手帳を取り出し、何かを書き込んだ。雨音は、再びわずかに激しさを増していた。