鳴海は、森山恵美の前に広げられた駅構内の見取り図に視線を落とした。沢村茜は、手元の取材ノートにペンを走らせる。森山は、制服の襟元を正し、二人の問いに淀みなく答えていた。
「鬼塚駅長は、事件の直前、何か変わったご様子でしたか? あるいは、特定の人物と頻繁にお会いになっていたとか」
鳴海の問いに、森山は落ち着いた声で返した。
「いいえ。特に変わったご様子はございませんでした。いつも通り、厳格な方でしたから。それに、このような閉ざされた状況で、頻繁にお会いになるような方も……」
言葉を区切り、森山はわずかに首を傾げた。その仕草は、純粋な疑問のように見えた。
「先日、篠田麗子様が駅長室から出てこられるのを、森山様がご覧になったと伺いましたが」
鳴海は、見取り図から顔を上げ、森山の目を見据えた。森山の表情に、微かな変化が走る。彼女の口元に、ごく短い、しかしはっきりと捉えられる笑みが浮かんだ。それは喜びとも悲しみともつかない、曖昧な光を帯びていた。
「ええ、まあ、そう、ですね」
森山の声のテンポが、それまでの流暢な応答とは異なり、ほんのわずかに遅くなった。言葉の端々に、いつもより砕けた響きが混じる。
「篠田様は、最近、何度か駅長室にいらしていました。駅の再開発の件で、駅長とよくお話しされていたようですから」
「その時、何か駅長から聞かれたことは?」
「さあ……。駅長は、そういう個人的な話はあまりされませんから」
そう言いながら、森山は机の上の古い置時計に、ふと視線をやった。真鍮製の時計は、針が止まったままだ。彼女はすぐに視線を鳴海に戻したが、その一瞬の動きを鳴海は見逃さなかった。
「しかし、先日、篠田様がお帰りになった後、駅長が少し苛立っていらっしゃるようにお見受けしました。珍しいことでしたね。普段は感情を表に出されない方なのに」
森山は、もう一度、置時計に目をやった。今度は、その指先がわずかに時計の縁に触れる。
「何か、時計の時間を気にするような言葉を口になさったとか?」
沢村が、すかさず質問を重ねた。森山は、その問いに直接答えることなく、小さく息を吐いた。
「……ええ。その時は、『時間が足りない』と、おっしゃっていたような……」
彼女の言葉は、まるで過去の記憶を辿るかのように、ゆっくりと紡がれた。丁寧語は維持されていたが、その声のトーンには、どこか諦めにも似た響きが混じっていた。
「そして、『この時計は、いつも私を急かす』とも」
森山は置時計から手を離し、両手を膝の上に揃えた。その視線は、再び鳴海へと向けられたが、その奥には、彼らの知らない過去の影が揺れているようだった。
「その言葉は、篠田様がお帰りになった直後のことでしたか?」
鳴海は、彼女の言葉の裏にある意味を探るように、さらに問い詰めた。
「はい。その時も、ちょうど、篠田様が駅長室を出られた直後でした。駅長は、その……少し、いら立ったご様子で、あの時計を眺めていらっしゃいました」
森山の言葉は、以前の「特に変わったご様子はございませんでした」という証言とは、明らかに異なるニュアンスを含んでいた。微かな笑みと、わずかなテンポの変化、そして言葉の裏に滲む感情が、小さな証言の反転を物語っていた。
「その時、駅長は時計の針を何か操作するような仕草は?」
沢村が、身を乗り出すように尋ねた。森山は少し考えてから、首を横に振った。
「いいえ、そこまでは。ただ、じっと見つめていらっしゃっただけです。でも……」
彼女はそこで言葉を区切り、再び口元に、あの曖昧な笑みを浮かべた。
「あの時計は、駅長にとって、とても大切なものだったようです。いつも、ご自身で時間を合わせていらっしゃいましたから」
その言葉の響きは、どこか遠く、そして、確信めいたものだった。鳴海は、森山の言葉の端々に隠された手がかりを拾い上げようと、改めて置時計に視線をやった。止まった針は、何も語らない。しかし、その存在は、今、新たな意味を帯び始めていた。