第22節
鍵穴の傷跡

鳴海は再び駅務室の窓へと向かった。分厚いガラスは雨に洗われ、外の暗闇をぼんやりと映している。彼は窓枠に手をかけ、ゆっくりと指を滑らせた。沢村はその後ろで、静かに鳴海の動きを見守っていた。活発なショートヘアが、わずかに揺れる。

「ここです」

鳴海の声は低く、ほとんど囁きに近かった。沢村は一歩近づき、鳴海の視線の先を追った。窓の内鍵。その真鍮製の金具の表面に、確かに微細な引っ掻き傷が残されていた。以前の鑑識報告書にも記載されていたが、改めて目の当たりにすると、その存在感は違っていた。光の加減で、金属の鈍い輝きの中に、細い線が幾重にも走っているのが見て取れる。

鳴海は眼鏡の奥の目を鍵穴に凝らした。彼の呼吸が、一瞬、止まったように見えた。室内には、エアコンの微かな稼働音と、外で遠く響く雷鳴の余韻だけが満ちていた。二人の間に、重い沈黙が降りる。沢村もまた、息を詰めてその傷跡を見つめた。彼女のデジタルカメラが、首から提げられたままで、微かに胸に当たっている。

傷は、鍵穴の縁から内側に向かって、ごく浅く、しかし明確に刻まれていた。まるで細い針金か何かで、何度も擦られたかのような跡だ。その深さは、鍵をこじ開けようとしたにしては不自然に思えた。むしろ、何かを慎重に操作しようとした結果のようにも見える。しかし、外から、この内鍵をどう操作するというのか。沢村の頭の中で、様々な仮説が渦を巻く。

「この傷は……」沢村が口を開きかけた。

鳴海は言葉を遮った。「この鍵は、内側からしか施錠できない。そして、外から開けるには、窓を破るか、特殊な器具を使うしかない」

「ええ、それは分かっています。でも、この傷は、まるで外から何かで、鍵を動かそうとした痕跡のように見えます」沢村は、指先でその傷跡の方向をなぞってみせた。

鳴海は首を微かに振った。彼の指先が、鍵穴のすぐ隣の窓枠の隙間をなぞる。隙間はほとんどなく、紙一枚がやっと通るかどうか、という程度だ。彼はその隙間に、自分の爪の先を差し込もうとしたが、それすらも容易ではなかった。

「この隙間から、何かを差し込んで、内鍵を操作した、とでも?」沢村は眉をひそめた。その考えは、あまりにも現実離れしているように思えた。

「可能性としては、ゼロではない。だが、これだけ狭い隙間から、この形状の鍵を正確に操作するのは、至難の業でしょう」鳴海は窓枠から手を離し、腕を組んだ。彼の視線は、再び鍵穴に戻る。その目は、傷跡の奥に隠された真実を探るかのように、じっと一点を見つめていた。彼の知的な眼鏡のレンズが、室内の照明を反射して光る。

沢村は、鳴海の視線が釘付けになっている鍵穴と、その周りの窓枠を交互に見やった。もし外から操作されたのだとしたら、なぜこれほど痕跡が少ないのか。そして、なぜ鍵は完全に閉まっていたのか。疑問が頭の中を巡る。彼女は、窓のすぐ外に広がる、雨に濡れたプラットホームの暗闇を想像した。誰かが、あの豪雨の中で、この窓に張り付いていたというのか。

「しかし、他に密室を成立させる方法が……」沢村は呟いた。彼女の思考は、どうしても「外からの鍵操作」という一点に引き寄せられてしまう。

「ええ。他に、この部屋が内側から施錠された理由があるはずです」鳴海は静かに言った。彼の視線は、鍵穴からゆっくりと離れ、部屋全体を見回した。何か別の、見落としている手がかりがあるのではないか、とでも言うように。彼の視線は、机の上の書類の山や、壁に掛けられた古い時刻表へと移っていく。

沢村はデジタルカメラを構え、改めて鍵穴のクローズアップ写真を何枚か撮った。光の角度を変え、傷の深さや方向がより鮮明に写るように試みる。その一枚一枚が、この密室の謎を解く鍵となるかもしれない。彼女の心臓が、微かに高鳴るのを感じた。彼女は、この傷跡こそが、密室の全てを語っているのだと、強く思い込んでいた。

鳴海は机の上の遺品に目を向けた。止まった置き時計。その針は、確かに正確な時刻より数分進んでいた。彼はその時計を手に取り、裏側の電池蓋に視線を落とした。