第21節
三十年の沈黙

夏椿終着駅の待合室は、厚い雨雲に覆われた昼下がりだというのに、妙に蒸し暑かった。鳴海と沢村は、向かいの席に座る篠田麗子を静かに見つめていた。彼女は組んだ両膝の上に手のひらを重ね、背筋を伸ばしている。その姿勢からは、揺るぎない自信が感じられた。

「篠田さん」鳴海が口を開いた。「あなたは鬼塚駅長と、この駅の再開発計画について、以前から意見の相違があったと伺っています。それは事実でしょうか」

篠田は一瞬、眉をかすかに動かしたものの、すぐに表情を元に戻した。
「事業を推進する上で、意見の調整が必要になるのは当然のことです。鬼塚駅長とは、地域活性化という大局では一致していました」
その声は滑らかで、一切の澱みがない。沢村は手帳にペンを走らせながら、篠田の言葉の裏を探るように耳を傾けた。

「では、もう少し過去に遡りましょう」鳴海の言葉は、篠田の平静さを試すかのように、さらに深く切り込んだ。「三十年前、この夏椿終着駅の建設を巡る不正があったと、一部で囁かれています。駅長のご遺品の中から、当時の鉄道会社の社章が見つかった。鬼塚駅長と、そして貴社の関わりについて、何かご存知ですか」

その瞬間、篠田の顔色がわずかに変わった。精悍な顔立ちの頬に、薄く赤みが差した。膝の上に重ねられた彼女の指先が、目には見えぬほど僅かながら、力を込めて握られる。彼女の視線は一瞬、鳴海から外れ、待合室の窓の外、雨に濡れる景色へと向けられた。しかし、すぐにその視線は鳴海へと戻り、以前にも増して鋭い光を宿した。

「それは、一体何を根拠にそのようなことをお仰りになるのですか」篠田の声のトーンが、先ほどよりもわずかに高く、硬質な響きを帯びた。「三十年前の、曖昧な噂を蒸し返して、私に何を期待すると言うのですか。私は、現在の事業に全力を尽くしています。過去の、それも不確かな話に時間を割くつもりはありません」

沢村は、篠田の言葉の端々に滲む感情の波を感じ取った。彼女は怒りを露わにしているわけではない。しかし、その声と表情の僅かな変化が、内側に燃える何かの存在を物語っていた。

「不確かな話、ですか」鳴海は冷静だった。「しかし、鬼塚駅長のご遺品には、確かに当時の社章がありました。それは、彼が過去の不正に関与していた可能性を示唆している。そして、その不正が、現在の事件と無関係とは言い切れない」

篠田は口を固く結び、答えない。その沈黙は、先の言葉とは異なる種類の強い拒絶を表現していた。沢村は、このままでは膠着状態に陥ると感じ、小さく咳払いをした。
「篠田さん、もし何かご存知で、それが駅長さんの死に関わることだとしたら、それはもう『不確かな話』では済まされないのではないでしょうか」

篠田は沢村の方へ顔を向けたが、その視線は沢村の顔ではなく、わずかにずれた空間を見つめているようだった。まるで、そこにいない誰か、あるいは何かを意識しているかのように。
「……私は、何も」彼女の言葉は途切れ、ふたたび沈黙が訪れた。

その沈黙を破ったのは、待合室のドアが開く音だった。森山恵美が、藤崎悟を伴って現れた。藤崎の顔には、疲労の色が濃く浮かんでいる。

「藤崎さん」鳴海は彼を招き入れた。「あなたは三十年前、鬼塚駅長と共に夏椿終着駅の建設に携わっていたと聞きました。当時の状況について、少しお話を伺いたいのですが」

藤崎はぎこちない足取りで、篠田から少し離れた席に座った。彼は無言で、両手を膝の上に置いた。その手は、何かを強く握りしめるように、きつく握りこぶしを作っている。深く刻まれた顔の皺が、さらに深く見える。

「鬼塚駅長と、篠田麗子さんの会社との間に、何か不審な点はなかったのでしょうか」鳴海の質問は、先ほど篠田に投げかけたものとほぼ同じだった。

藤崎の顔から、さっと血の気が引いた。土気色の肌が、一層くすんで見える。彼は鳴海の視線を受け止めきれず、すぐに目を伏せた。その視線は、ずっと足元の床に釘付けになっている。
「……いや、その……」藤崎の声は、普段のぶっきらぼうな調子とは違い、妙に震えていた。言葉を選んでいるのか、それとも言葉が出てこないのか。
「私は、ただ言われた通りに働いただけだ。工事のことは、現場の人間が……」

彼の言葉は尻すぼみになり、最後はほとんど聞き取れないほどの呟きになった。篠田麗子は、その一部始終を横目で見ていたが、藤崎の方に明確に視線を向けることはなかった。ただ、唇の端が、微かに歪んだように見えただけだ。

「言われた通りに、ですか」鳴海は藤崎の言葉を繰り返した。「具体的に、誰に、何を言われたのですか。そして、その中で、不審だと感じたことは何もなかったと?」

藤崎は依然として床を見つめ、握りしめた拳は微かに震えている。彼の口からは、それ以上の言葉は出てこなかった。待合室に重い沈黙が降りた。雷鳴が遠くで小さく響き、雨足がまた強くなったことを告げていた。