鳴海は再び駅務室の窓に向き合った。彼は白い手袋をはめ、慎重に窓枠の隅を指差す。沢村はデジタルカメラを構え、その一点を拡大して撮影した。
「この傷、どう見ても内側から開けようとしたものではないですね」沢村が言った。
「ええ。外側から何らかの道具を差し込み、鍵を操作しようとした痕跡でしょう」鳴海は低い声で答えた。指先で、鍵穴の縁に沿って走る微細な擦過痕をなぞるように見せる。表面は滑らかで、鋭い金属が当たったような感触はない。
「でも、窓はきっちり閉まっていました。内鍵もかかって」
「その通りです。それがこの密室の第一の謎でしょう」
鳴海と沢村が検証を進めていると、入口のそばで腕組みをしていた藤崎がゆっくりと近づいてきた。彼は無言で、時折、二人の動きに視線を巡らせていた。
「藤崎さん、少しよろしいでしょうか」鳴海が声をかけた。
藤崎は無言で頷いた。その年季の入った作業着は、この場にそぐわないほど堅実な空気をまとっている。
鳴海は手袋をした指で、窓枠の傷を改めて示した。
「この傷は、外側から何かを差し込んで、鍵を操作しようとしたものに見えます。藤崎さんなら、この手の細工について何かご存知かもしれません」
藤崎は眼鏡の奥の目を細め、傷を凝視した。彼は指で触れることなく、少し身をかがめて角度を変えて見る。
「……これは、無理にこじ開けようとした、というよりは、何かで引っ掛けたような跡だ。鉄製の工具じゃ、こんな浅い傷にはならねえ。もっと抉れる」彼の声はぶっきらぼうだが、確信めいた響きがあった。
沢村がメモを取る手を止めた。「引っ掛けた、ですか。では、やはり窓から侵入しようとしたのでは?」
「試みただろうな。だが、この鍵は固い。俺も昔、似たような鍵を扱ったことがあるが、外から開けるのは至難の業だ。特に、こんな細い傷じゃ、開かん」
藤崎の言葉は、窓からの侵入の難しさを強調した。
「被害者の指先に付着していた、この糸くずも気になります」鳴海は、鑑識が採取したという証拠品の透明な袋を手に取った。
沢村は首を傾げる。「ナイロン製の、ごく短いものと聞きました。何かと揉み合ったときに付いた、とか?」
鳴海は袋越しに糸くずを指で軽く押した。微かに硬質な、しかし弾力性のある感触が伝わる。その動作には、直接触れることへの明確な躊躇が見て取れた。
「揉み合ったにしては、あまりにも短い。それに、引っ張られたような乱れがない。むしろ、何か鋭利なものに引っかかって、綺麗に断ち切られたような印象を受けます」
鳴海は藤崎に袋を見せた。「藤崎さんは、何か心当たりがありますか。例えば、古い鉄道備品で使われている素材とか…」
藤崎は袋の中の糸くずにちらりと目を向けた。その表情は変わらない。
「ナイロンか。俺の知る限り、駅の備品でこんな細いナイロンが使われているものは、あまりないな。紐類は麻か、もっと太い合成繊維が多い。制服の縫い目ならあるかもしれねえが、こんなに綺麗に切れたりはしねえ」
鳴海は静かに頷いた。
「窓の鍵穴の傷と、この糸くず。一見、関連があるようにも思えますが、私は別の可能性を考えています」鳴海は袋を元の場所に置いた。
「別の可能性、ですか?」沢村が尋ねる。
「ええ。犯人はこの窓から侵入を試みた。その際に、何らかの細い工具を使って鍵を操作しようとし、あの傷が付いた。しかし、藤崎さんの言う通り、この鍵を外から開けるのは難しい。おそらく、犯人も開けることはできなかったのでしょう」
鳴海は少し顔を上げ、窓の外に目を向けた。
「あの晩の雷雨と、列車のエンジン音。あれらが、この窓への細工の音を隠すには十分だったかもしれません。そして、侵入に失敗した犯人は、焦って別の場所から入った。その際、鬼塚駅長と鉢合わせして、揉み合いになり、駅長にこの糸くずが付いた…」
沢村が頷く。「その可能性は十分にありますね」
「この糸くずの出所を特定できれば、犯人の服装、あるいは持ち物に繋がるかもしれません」鳴海はそう結論づけた。彼は、あくまで「現時点での」という言葉を強調した。
「そうすると、この糸くずがどこから来たのか、そして、窓の鍵を引っ掛けようとした『何か』を探す必要がありますね」沢村が言った。
「ええ。それに、窓から侵入を試みたにもかかわらず、最終的にどこから侵入したのか。その経路も改めて洗い直す必要があります」鳴海は手帳を取り出し、何かを書き留めた。「特に、事件当時、この窓の近くで不審な人物を見かけた者がいないか。改めて全員に確認を取るべきでしょう」