鳴海と沢村は、駅務室の隣にある小さな休憩スペースで森山恵美と向かい合っていた。簡素なテーブルと数脚の椅子が置かれただけの部屋だが、窓の外には豪雨に煙る山肌が見える。森山はきちんとした制服姿で、普段通りの落ち着いた表情を崩さない。しかし、その瞳の奥には、どこか疲労の色が滲んでいるように沢村には見えた。
「鬼塚駅長は、普段から何か変わった習慣をお持ちでしたか?」鳴海はいつものように、手帳を開きながら問いかけた。彼の知的な眼鏡の奥の視線が、森山の顔に静かに向けられる。
森山は首をかしげ、それからゆっくりと話し始めた。「そうですね……変わっていると言えば、駅長室の置き時計でしょうか。あれはいつも、正確な時刻より二、三分進んでいました。時間に厳しい方でしたから、それくらいは誤差のうち、と仰っていましたが、妙に律儀な方でしたから、いつもその進んだ時刻に合わせて行動されていましたね」
沢村は思わず鳴海に視線を送った。駅務室で見た、あの止まった置き時計のことだ。それが数分進んでいたという事実は、何か意味があるのだろうか。彼女の活発なショートヘアが、その視線の動きに合わせて軽く揺れる。
鳴海は手帳にペンを走らせるのを一度止め、森山の言葉を反芻するように唇を閉じた。しかし、彼のペンはそのまま止まったままで、すぐに書き記すことはしなかった。彼は手帳を軽く閉じ、膝の上に置いた。その落ち着いた服装の袖口が、わずかに乱れる。
「なるほど。時計、ですか」鳴海はそう呟いた後、やや間を置いてから、別の質問に移った。「ところで、森山さんは、昨夜の最終列車が到着する前、駅長と何かお話しされましたか? あるいは、駅長室から誰かが出てくるのを見かけたり、物音を聞いたり、といったことは?」
質問の順序が、沢村には不自然に感じられた。時計の話はもう少し掘り下げるべきではないか。そう思ったが、鳴海はもう次の話題へ移っている。
森山は少し考え込むような仕草を見せた。「いえ、特に。最終列車が到着する少し前に、駅長室から出てくる篠田様とすれ違いましたが、特に会話はしていません。篠田様は、いつも携帯されているスマートフォンを手に、少し苛立ったご様子でした。駅長室からは、特に物音も……」彼女はそこで言葉を区切った。
その時、鳴海は椅子に座り直すようにして、わずかに後ろへ身を引いた。森山との間に、目に見えない距離が生まれたように沢村には感じられた。森山もまた、その変化に気づいたのか、無意識のうちに姿勢を正し、少しだけ硬い表情になった。彼女の控えめな化粧の下に、かすかな緊張が走る。
「篠田さん、ですか。彼女とは、駅長はどのようなご関係でした?」鳴海は再び手帳を開いたが、先ほどの時計の件については何も書き込まず、そのまま別のページをめくった。
森山は少し視線を泳がせた。「旧知の仲、と聞いています。ですが、最近は駅の再開発の件で、意見が対立することもあったようです。駅長は、この夏椿終着駅の歴史と伝統を重んじていらっしゃいましたから」
「対立、ですか。具体的には?」
「詳細は存じ上げません。ただ、駅長は昔からの夏椿駅の姿を守りたいと。篠田様は、もっと新しい形で地域を活性化させたいと。お互いの立場がある、と……」森山はそう言いながら、テーブルの上の埃を指先でなぞった。
森山の言葉は、どこか歯切れが悪かった。彼女は駅長を慕っていると言っていたが、その表情には、言いたくても言えない何かが隠されているようだった。沢村は、デジタルカメラを構え、その場の空気感を捉えようとシャッターを切る。しかし、この密室で、何が真実を映し出すのか、まだ見当もつかなかった。
鳴海は森山の言葉を遮るように、さらに別の角度から質問を重ねた。「駅長室の鍵は、通常、どなたが管理されていましたか?」
森山は、はっとしたように顔を上げた。「駅長が常に身につけていらっしゃいました。予備の鍵は、駅の金庫に厳重に保管されています。私たちが使うことは、まずありません。駅長は鍵の管理には特に厳しかったものですから」
「金庫、ですか。それはどちらに?」
「駅務室の奥、書類棚の裏に隠されています。暗証番号は駅長しかご存じありませんでした」
鳴海は、ようやく手帳に何かを書き込んだ。金庫の場所と、暗証番号が駅長しか知らないという情報だ。しかし、沢村の頭の中には、先ほどの置き時計の件が引っかかっていた。なぜ鳴海は、あの話を深掘りしなかったのだろう。彼の視線は、今、金庫の話題に集中している。まるで、何か別の可能性を排除しようとしているかのように。