第07節
三人の証言

潮風診療所の待合室は、普段の喧騒が嘘のように静まり返っていた。春の嵐はまだ止まず、窓の外では強い風が吹き荒れ、時折雨粒がガラスを叩く音が響く。氷室は、ソファに腰掛けた早乙女葵、沢村悠斗、東野悟の三人に、落ち着いた声で問いかけた。橘は傍らでメモ帳を広げ、彼らの表情を注意深く見ていた。

「神崎所長は、普段から書斎に鍵をかける習慣があったのでしょうか?」

氷室の問いに、最初に口を開いたのはベテラン看護師の沢村だった。彼の顔色はやややつれ、目の下にうっすらと隈ができていた。

「ええ、そうです。特に夜間は必ず。所長は大切な書類をたくさん扱っていましたから。患者さんの個人情報もありますし、研究所時代の資料もあると聞いていました」

沢村は、白い看護服の袖口をゆっくりと整えた。その仕草には、長年勤め上げた者特有の、わずかな疲労が滲んでいる。

「研究所時代?」橘がメモを走らせながら尋ねた。

「昔の話ですよ。所長がこの島に来る前の。本土で大きな研究機関にいたと」沢村は短く答えた。

氷室は視線を薬剤師の東野に移した。東野は神経質そうな表情で、スマートフォンを何度も確認していた。

「東野さん、所長とは何か最近、揉め事などはありませんでしたか?」

東野は、スマートフォンの画面を消すと、ポケットに押し込んだ。

「揉め事、ですか。まあ、意見の食い違いは、どこの職場でもありますよね。僕は本土への異動を希望していましたから、その件で所長とは何度か話しました。でも、それだけです。特に大きな揉め事というわけでは……」

東野は言葉を選びながら話す。その視線は、氷室の顔と、壁にかけられた時計の間を何度か往復した。

「異動の件は、所長は難色を示していたと?」氷室は問いを重ねる。

「ええ。人手が足りないから、と。それは理解できます。でも、この島にずっといるつもりは、僕にはありませんでしたから」

東野の口調には、抑えきれない不満がわずかに含まれていた。彼は白衣の胸ポケットに手をやり、そこにあったペンを取り出しては、また戻すという動作を繰り返した。

次に氷室は事務員の早乙女葵に目を向けた。彼女は制服姿で、真面目そうな眼鏡の奥の瞳が、少しおびえているように見えた。

「早乙女さん。所長は昨夜、何か変わったご様子でしたか? いつもと違うこと、例えば、誰かと会う約束をしていた、とか」

早乙女は、ゆっくりと瞬きを数回繰り返した。その視線は氷室の顔から、一瞬だけ床へと落ちた。そして、制服の襟元をわずかに引き上げた。

「いえ……特に変わったことは。いつも通り、夕食を済ませて、書斎に戻られたと記憶しています。誰かと会う約束も、私には聞いておりません」

彼女の声はか細く、語尾がわずかに震えているように聞こえた。

「書斎に戻られたのは何時頃でしたか?」橘が尋ねた。

「ええと……九時過ぎだったと思います。いつもそのくらいの時間でしたから」

早乙女は答えたが、その視線は沢村の方をちらりと見た。沢村は無言で、ただ早乙女の言葉を聞いていた。

「所長は、書斎で何をされていたのでしょう?」氷室はさらに問い詰める。

「いつも通り、読書をされたり、書類の整理をされたり……。時々、古い手紙を読んでいることもありました。本土からのものだったと」早乙女は、少し考え込むように指先を組み合わせた。

「手紙、ですか。それはどなたからのものか、ご存知ですか?」

「いえ、そこまでは。ただ、所長はよく、その手紙を読んでは、少し考え込んでいるようでした」

早乙女は、そう言ってから、唇をきゅっと引き結んだ。彼女の指先が、膝の上で微かに震えていた。

「所長は、最近何か悩みを抱えている様子はありませんでしたか?」橘が尋ねる。

早乙女は首を横に振った。

「いえ、特に。いつもと変わらず、穏やかでいらっしゃいました」

しかし、その言葉とは裏腹に、彼女の顔にはどこか張り詰めたものがあった。彼女はもう一度、制服の袖口に触れ、わずかに引き下げるような仕草を見せた。その動きは、先ほどの沢村の仕草とは異なり、どこか落ち着かない印象を与えた。

氷室は、三人の顔をゆっくりと見回した。それぞれの言葉の端々や、わずかな仕草の奥に、何か引っかかるものを感じ取っているようだった。彼は何も言わず、ただ静かに、次の質問を組み立てている。待合室の時計の針が、重々しく時を刻む音だけが、不穏な静寂の中で響いていた。外の嵐の音は、一層強くなっていた。