第04節
証言の連鎖

氷室は、橘を伴って診療所の二階から降りてきた。一階の待合室には、先ほどからずっと座り込んでいる島の漁師、南原健の姿があった。その隣では、ベテラン看護師の沢村悠斗が、どこか落ち着かない様子でカルテを整理している。

「沢村さん、少しお話を伺ってもよろしいでしょうか」

氷室の声は穏やかだったが、沢村はぴくりと肩を震わせ、振り返った。清潔な看護服に包まれた体は、この数時間で一回り小さくなったように見えた。彼のやつれた顔色は、神崎所長の死がもたらした衝撃を物語っていた。

「はい……何なりと」

沢村は答えるものの、視線は氷室の顔を避けるように泳いだ。その手は、無意識のうちに胸元のポケットを探り、白いハンカチの端を握りしめた。

「神崎所長を最後に見たのはいつ頃でしたか」

氷室は単刀直入に尋ねた。

「昨夜の、九時少し前だったかと思います。先生は書斎に戻られ、私は戸締まりを確認して帰宅しました。外はひどい嵐で……」

沢村の声は途切れがちだった。

「その時、他に診療所に残っていた者は?」

橘がメモ帳にペンを走らせながら尋ねた。

「ええと……薬剤師の東野くんと、事務員の早乙女さんです。東野くんは薬の棚卸しをすると言って残っていましたし、早乙女さんは日報のまとめ作業があると言っていました」

「お二人とは何か話をしましたか?」

「いえ、特に。皆、自分の持ち場に戻っただけです。嵐の音がひどくて、あまり声も聞こえませんでしたから」

沢村はそう言って、再び視線をカルテに向けた。指先が、めくる必要のないページを神経質になぞる。

氷室は沢村から視線を外し、待合室の隅でスマートフォンの画面を凝視している東野悟に目を向けた。本土から赴任してきたという彼の白衣は、この騒ぎの中でも皺一つなく、清潔感を保っていた。

「東野さん、少しお時間をいただけますか」

氷室が声をかけると、東野はゆっくりと顔を上げた。神経質そうな表情は、画面から引き剥がされたことへの不満をわずかに滲ませた。彼は椅子に座ったまま、体の向きを氷室の方へわずかに傾けたが、完全に顔を向けることはなかった。その視線は、氷室の背後にある壁の方へと向けられたままだ。

「はい、なんでしょう」

東野の口調は丁寧ではあったが、どこか表面的で、質問を早く終わらせたいという意志が透けて見えた。親指が、再びスマートフォンの画面を意味もなくスワイプし始めた。

「昨夜、神崎所長を最後に見たのはいつ頃でしたか」

「九時過ぎだったかと。書斎の電気はまだついていましたね。私は棚卸しが終わって、すぐに帰りました。こんな嵐の夜に、わざわざ残る理由もありませんし」

東野はそう言って、わずかに口元を歪めた。

「所長とは何かお話を?」

「いいえ。特に。いつも通りですよ。本土への異動の件で、何度か意見の対立はありましたけどね。先生は『島の医療を守る』の一点張りで……」

彼は語尾を濁し、スマートフォンを握りしめる指に力がこもった。画面は真っ暗なままだったが、東野はそれをぎゅっと掴んで離さない。

「その晩、診療所内で何か変わったことはありましたか?例えば、停電など」

氷室の質問に、東野の眉間に一瞬だけ皺が寄った。その表情はすぐに消え去り、再び無表情に戻る。

「停電……ええ、そういえば、一度、ほんの一瞬ですが、照明がちらつきましたね。嵐がひどかったから、よくあることです。すぐに復旧しましたけど」

「何時頃でしたか?」

「さあ、正確な時間は覚えていません。九時半頃だったでしょうか。電気が消えて、すぐにまたついたので、気にも留めませんでした」

氷室は東野の言葉を聞き終えると、頷き、彼から少し離れた場所で、心配そうに氷室たちを見つめている早乙女葵に目を向けた。彼女はシンプルな制服に身を包み、真面目そうな眼鏡の奥の瞳は、不安げに揺れていた。

「早乙女さん、少しよろしいですか」

早乙女は、はっとしたように小さく息を呑んだ。その手は、いつの間にか握りしめていたボールペンを、慌ててデスクの上に置いた。

「はい……」

彼女の声は震えていた。

「昨夜、神崎所長を最後に見たのはいつ頃ですか」

「ええと……私も、九時頃だったと思います。先生が書斎に戻られるのをお見送りして、それから日報のまとめを……」

「停電はありましたか?」

氷室は東野にしたのと同じ質問を繰り返した。早乙女は少し考え込むように首を傾げた。

「停電、ですか……ああ、そういえば、一瞬だけ、本当に一瞬ですけど、電気が暗くなったような気がします。九時半くらいだったでしょうか。あまりにもすぐだったので、見間違いかと思いました」

東野の証言と一致する。氷室はゆっくりとメモ帳に目を落とした。

「神崎所長は、普段から時間には正確な方でしたか?」

橘が尋ねた。早乙女は、はい、と小さく頷いた。

「はい。いつも正確でした。特に、懐中時計を大事にされていて……」

彼女はそこで言葉を区切った。何か言いかけたが、口をつぐんだ。

「その懐中時計は、所長がいつも身につけていたものですか?」

氷室が促すと、早乙女は再び頷いた。

「ええ。肌身離さず、といった感じでした。古い物だと仰っていました」

氷室は、書斎で発見された懐中時計を思い出した。数分進んでいた、あの時計を。それが所長の普段の習慣とどう結びつくのか、まだ定かではなかった。

氷室は早乙女に礼を述べると、待合室の椅子に深く腰掛け、腕を組んでいる南原健の方へ向き直った。日焼けした顔に深い皺が刻まれ、その眼光は鋭い。

「南原さん、神崎所長について、何かご存知のことはありませんか」

氷室の問いに、南原はふんと鼻を鳴らした。荒々しい口調は、島の荒波を思わせる。

「隆先生か。ずいぶん長いこと、この島の面倒を見てくれてたよ。だがな、本土から来た人間は、どこまでいっても本土の人間だ」

南原はそう言って、氷室の顔をじっと見据えた。

「本土の人間、ですか」

「ああ。昔、隆先生が若い頃に、このあたりの土地開発に絡んでたって話を聞いたことがある。ずいぶん前の話だがな。あの頃は、島も今よりずっと活気があったが……」

南原はそこで言葉を切ると、遠い目をして天井を仰いだ。その表情には、過去への複雑な感情が入り混じっているようだった。氷室は、その言葉の奥に隠された意味を探るように、静かに南原の次の言葉を待った。