第15節
所長の素顔

潮風診療所の休憩室には、簡素なテーブルと数脚のパイプ椅子が並んでいた。窓の外では相変わらず春の嵐が吹き荒れ、時折、雨粒がガラスに叩きつけられる音が響く。氷室はテーブルの端に腰掛け、その静かな視線を、向かいに座る三人の人物にゆっくりと向けた。橘はメモ帳を広げ、ペンを握りしめている。

「神崎所長は、普段どのような方でしたか。」

氷室の声は穏やかだったが、その問いは部屋の空気をわずかに張り詰めさせた。まず口を開いたのは、白衣姿の沢村悠斗だった。彼は背筋を伸ばし、両手を膝の上にきちんと揃えている。

「所長は、島にとってはなくてはならない方でした。三十年もの間、この島の医療を支えてこられた。誰よりも、島のことを考えていらっしゃいました。」

沢村はまっすぐ氷室の目を見て答えた。その言葉に偽りはないように聞こえたが、彼の視線は、一瞬だけ隣に座る東野悟の方へと流れた。東野はスマートフォンを手にしていたが、画面を見るでもなく、ただ指先で縁をなぞっている。その動きはどこか神経質で、沢村の視線を感じたのか、彼はわずかに肩をすくめた。

「島のことを、ですか。まあ、それもそうでしょうね。でも、最近は……」

東野はそこで言葉を区切った。その視線は、テーブルの向こうに座る早乙女葵の顔を探るように動いた。早乙女はシンプルな制服姿で、眼鏡の奥の瞳を伏せがちだ。東野の言葉の途切れに、彼女の指先が膝の上で小さく震えるのが見えた。

「最近は、何かお変わりが?」

氷室が静かに促した。東野は一度、唇を舐め、それから再び口を開いた。

「本土への異動を巡って、所長とは何度か意見の対立がありました。私は、もっと設備の整った場所で、新しい医療を学びたいと願っていましたから。所長は、この島に留まるべきだと……」

東野はそこで再び言葉を詰まらせた。彼の視線は、今度は沢村の顔をちらりと見た。沢村は、東野の言葉を聞きながらも表情を変えず、ただ静かに氷室を見つめ返している。しかし、その姿勢は先ほどよりもわずかに硬くなっていた。

「所長は、島の外に出ることを、あまり良く思わなかった、と?」

氷室は問いを重ねる。今度は、それまで黙っていた南原健が、低い声で口を挟んだ。日焼けした顔に皺が刻まれ、その視線は部屋の隅を睨むように向けられている。

「所長はな、この島で生まれたわけじゃねえ。だが、この島に骨を埋めるつもりだった。昔から、よそから来た奴がこの島で何かを企むのを、嫌う傾向にあったな。」

南原の言葉は荒々しく、その声にはどこか、神崎隆に対する複雑な感情が滲んでいる。彼の視線が、不意に早乙女の方へと飛んだ。早乙女は、南原の視線を受け止めるかのように、ゆっくりと顔を上げた。その顔色は、普段よりもいくらか青白い。

「南原さん、それは……」

早乙女が何かを言いかけたが、南原はそれを遮るようにテーブルに拳を軽く打ちつけた。ドン、という鈍い音が、嵐の音に紛れて響いた。

「所長は、この島で何か秘密を抱えていたのか、と聞いているのか、あんたは?」

南原の視線は再び氷室へと戻ったが、その言葉は明らかに東野と早乙女に向けられたものだった。東野は、スマートフォンを握る手に一層力を込めた。早乙女は口を閉ざし、再び視線を伏せた。彼女の肩が、わずかに震えている。

「秘密、ですか。私には、所長が何かを隠しているようには見えませんでした。」

沢村が静かに言った。彼の声は落ち着いていたが、その言葉にはどこか、南原の言葉を打ち消そうとするかのような響きがあった。沢村は、南原と東野、そして早乙女の三人の顔を順に、ゆっくりと見て回った。その視線は、問いかけるようでもあり、あるいは何かを確かめるようでもあった。

「所長は、ごく普通の、真面目な医師でした。ただ、時々、遠くを見つめるような表情をされることはありましたけれど。」

沢村はそう付け加えた。その言葉に、東野が小さく鼻を鳴らした。早乙女は、相変わらず顔を伏せたまま、テーブルの下で両手を固く握りしめている。その沈黙は、それぞれの心の内を映す鏡のように、休憩室に重く広がった。嵐の音だけが、その沈黙を破っていた。