第04節
船医の証言

豪華客船『春風』の会議室は、船長の執務室がある階層とは異なる、やや奥まった場所に位置していた。窓の外では灰色の波がうねり、時折、船体が軋むような音が聞こえてくる。白神悠は長テーブルの一方に座り、開いた手帳に視線を落としていた。対面に座る深町薫は、首から下げたカメラをテーブルの隅に置き、ペンを握りしめていた。

やがて、ノックの音と共に、清潔な白衣を纏った篠崎麗船医が入室した。きっちりとまとめられた髪は、彼女の冷静な印象を際立たせる。彼女は白神と深町に一瞥をくれると、勧められた席にゆっくりと腰を下ろした。その動きには一切の無駄がない。

「篠崎先生、お忙しいところ申し訳ありません」と、白神は静かに切り出した。「海堂船長のこと、心よりお悔やみ申し上げます。」

篠崎は微かに首を傾げた。「ありがとうございます。まさか、このようなことになるなんて。まだ信じられません。」彼女の声は感情の起伏をほとんど感じさせず、抑揚のない響きを持っていた。テーブルの上の指先が、わずかに揺れたように見えた。

「いくつか、お伺いしたいことがあります」白神は眼鏡の奥から彼女の目を見据えた。「船長は、何か健康上の問題を抱えていらっしゃいましたか?」

「定期的な健康診断は欠かさず受けておられました。特に重篤な持病というものはございません。」篠崎は淡々と答えた。しかし、次の瞬間、彼女は一度言葉を区切り、白衣のポケットに手を滑り込ませた。その指先が、内側の生地を軽く弄ぶような仕草を見せる。

「ですが、ここ数日、睡眠導入剤を希望されることがありました。」彼女は続けた。「嵐による船体の揺れで、なかなか寝付けない、と。一時的なものです、と説明して処方いたしました。」

深町がメモを取る手が止まった。「睡眠導入剤、ですか。それはいつ頃から?」

「一昨日からです。嵐が本格化する少し前でした。」篠崎は答えながら、僅かに体を椅子に深く預け直した。「常用するものではなく、あくまで一時的な不眠に対する緩和措置としてです。」

白神は手帳に何かを書き込んだ。「船長室から、何か持ち出されたものはありませんか?例えば、薬の残りなど。」

篠崎の表情に、微かな変化が生まれた。眉間に、ほとんど見えないほどの薄い皺が刻まれる。「いいえ。医師として、患者の私物を持ち出すようなことは、決して致しません。」その声のトーンは、それまでよりも若干硬くなったように深町には聞こえた。彼女は白神の視線から、わずかに目を逸らした。

「では、事件発生が推定される時刻、先生はどちらにいらっしゃいましたか?」

「医務室です。夜間の急患に備え、待機しておりました。」

「どなたか、それを証言できる方は?」

篠崎は視線をテーブルに落とした。「…夜間の当直看護師がおりますが、私が医務室にいたことを、常に意識していたかは分かりません。記録上は、その時間帯に私が医務室に滞在していたことになっていますが。」彼女はそこで言葉を切り、沈黙が会議室を満たした。船体の軋む音が、より大きく響く。

白神は手帳を閉じた。「ありがとうございます、篠崎先生。また改めてお話を伺うかもしれません。」

篠崎は無言で立ち上がった。彼女は白神と深町に軽く会釈をすると、会議室を後にした。その背中は、やはり感情を読み取らせない、真っ直ぐなものだった。

深町はペンを置き、白神を見た。「睡眠導入剤、ですか。船長は、そんなものを飲んでいたんですね。」

白神は手帳を指先で軽く叩いた。「それが、どのような意味を持つか。まだ何とも言えません。深町君、次に黒岩一等航海士に話を聞いてみましょう。」