第25節
鍵と火の証言

白神と深町は、航海士詰所の小さなテーブルを挟んで黒岩と向き合っていた。窓の外はまだ灰色に波立つ海が広がり、船体が時折大きく揺れる。
黒岩は腕を組み、不機嫌そうな顔でテーブルを睨んでいた。無精髭の顎が僅かに突き出されている。
「もう一度伺いますが、海堂船長と最後に話されたのはいつですか?」白神は手帳を開いたまま、静かに尋ねた。知的な眼鏡の奥で、その目が光る。
黒岩はフンと鼻を鳴らした。
「何度も言わせるな。事件のあった前日だ。執務室で、航路のことで意見が食い違った。いつものことだ。」
深町はペンを走らせる。
「その時の口論の様子を、他の乗員も耳にしています。相当激しかったと。」
黒岩は舌打ちをした。
「いちいち人の喧嘩に首を突っ込むな。あの老いぼれは、この嵐の中、無茶な航海を続けようとしたんだ。俺が止めたのは当然だろう。」
白神は手帳から顔を上げ、ゆっくりと黒岩に視線を向けた。
白神は椅子から立ち上がり、一歩、黒岩のいるテーブルの縁に近づいた。
黒岩は無精髭の生えた顎を突き出し、その視線を受け止めた。
「あなたは、海堂船長を、老いぼれと呼びますね。」白神の声が、それまでの落ち着いたトーンから、僅かに低くなった。
「事実だろうが。」黒岩は挑むように言った。しかし、彼の視線は白神の顔から、一瞬、その肩口へと逸れた。
白神はさらに半歩、間合いを詰めた。テーブルの角が、黒岩の腹部に触れそうな距離だ。
「しかし、船長室の施錠された状況を見るに、あなたと船長の間には、単なる航路を巡る意見の相違以上の、個人的な確執があったと考えるのが自然です。」
白神はまっすぐに黒岩の目を見た。その目は、瞬き一つせず、黒岩の反応を待っている。
黒岩は喉を鳴らした。彼の引き締まった体格が、僅かに硬直したように見えた。
「個人的な確執だと? 俺とあの老いぼれは、昔からああいう関係だ。お前ら部外者が何をわかる。」
白神は首を微かに傾けた。
「では、お伺いします。事件当日、あなたは船長室の鍵を、どこで見つけましたか?」
黒岩の顔色が変わった。
「鍵だと? 俺は船長室には入っていない。第一発見者は深町さんたちだ。」
「ええ、それは承知しています。しかし、その鍵は、船長室のドアの内側、つまり密室の中から発見されました。」
深町がメモ帳から顔を上げ、白神の言葉を繰り返す。
「あなたは、事件当日、船長室に立ち入っていないと主張されていますね。」白神の声はさらに低くなり、ほとんど囁きに近い。しかし、その言葉一つ一つが、黒岩の耳に鋭く突き刺さるようだった。
黒岩は拳を握りしめ、テーブルの下で震えているように見えた。
「入ってないと言っているだろう! 俺は、俺は甲板で、荒れる海を監視していた! 監視記録だって残っているはずだ!」
白神は、その言葉を遮るように静かに言った。
「監視カメラの記録は、嵐の影響で一部不鮮明でした。そして、甲板での監視は、一人で行う必要はなかったはずです。」
黒岩は口を開きかけたが、言葉が出てこない。日焼けした顔に、脂汗が滲み始めた。
白神はなおも視線を逸らさない。
「船長室の鍵は、内側からかけられていた。そして、その鍵は、船長室のゴミ箱の中から見つかった使い捨てカイロの燃えカスと共に、不自然に溶けた金属片が付着していましたね。」
深町は息を呑んだ。その事実は、まだ公にはされていなかったはずだ。
黒岩の目が、大きく見開かれた。
「何を、言っているんだ…?」
白神はさらに声を落とし、黒岩の耳元に直接語りかけるように、はっきりと、しかし静かに言った。
「あなたは、その鍵について、何かご存知ではありませんか?」
黒岩は顔を真っ赤にし、椅子を蹴るようにして立ち上がった。
「知るわけがないだろう! 俺を犯人だとでも言いたいのか!」
白神は、黒岩が立ち上がったことで開いた距離を再び詰め、その険しい表情を真っ直ぐに見上げた。
「私は、ただ事実を整理しているだけです。そして、事実と、あなたの証言には、いくつか食い違う点がある。特に、事件当日のあなたの行動に関する部分が。」
白神は、黒岩の右手の甲に微かに残る、煤のような汚れに目をやった。それは、まるで何かを燃やした後のように見えた。しかし、彼はそのことには触れず、ただ黒岩の反応を待った。
黒岩は大きく息を吐き、その場に縫い付けられたように立ち尽くした。