豪華客船『春風』の船内を巡る白神と深町は、船長室のあるフロアの突き当たりにある、セキュリティ管理室へと足を運んでいた。重厚な鋼鉄製の扉を開けると、無数のモニターが壁一面に並び、船内の各所を映し出している。中央のデスクには、ログを管理する端末が置かれていた。
「海堂船長の死亡推定時刻は、昨夜の十時から十一時の間でしたね」
白神は眼鏡の奥でモニターを見つめながら、深町に問いかけた。その指先が、端末のキーボードを軽く叩く。深町は手元のメモ帳を広げながら頷いた。
「はい、船医の篠崎先生の証言と、発見時の状況からそのように推定されています」
白神は、その時間帯の監視カメラの記録を呼び出した。画面には、船長室へ続く廊下や、非常階段の映像が次々と表示される。嵐の夜のせいか、映像は全体的にざらつき、不鮮明な部分も散見された。特に、船長室前の廊下を捉えるカメラの映像は、数分間にわたり強いノイズが走り、人物の判別が困難なほどだった。
「このノイズ、嵐の影響だけでしょうか」
深町が首を傾げた。白神は何も言わず、その数分間の映像を繰り返し再生させる。映像の隅に表示されるタイムスタンプが、十時三十分から十時三十五分を指す間、画面は砂嵐のように乱れ、その後、何事もなかったかのようにクリアな映像に戻った。
「システムログを確認しましょう」
白神はそう言って、別の管理画面へと切り替えた。そこには、船内監視システムの稼働状況や、定期メンテナンスの記録が羅列されていた。白神は死亡推定時刻に焦点を当て、その前後のシステムエラーや異常なアクセスがないかを丹念に調べていく。深町もまた、隣に並んで画面を覗き込んだ。
膨大なデータが流れ去る中、白神の指が止まった。
「異常な記録は見当たりませんね。システムは正常に稼働していたようです」
白神はそう結論づけるように、深く息を吐いた。彼の視線は、既に次の確認事項へと移っているかのようだった。
深町は、白神が確認していたログの、少し前の日付に目をやった。そこには、監視カメラの定期点検記録がずらりと並んでいた。特に、船長室前の廊下を映す「カメラ3」の項目に、深町の視線が吸い寄せられた。
『カメラ3:レンズクリーニング及び調整。実施者:S.K. 完了時刻:10/24 22:15』
深町は、その「S.K.」というイニシャルと、完了時刻にわずかな違和感を覚えた。他のカメラの点検記録に比べ、この「カメラ3」の項目だけ、実施者のサインが簡略化され、また完了時刻が、死亡推定時刻のわずか数時間前、しかも嵐が吹き荒れる直前の時間帯に設定されていた。他のカメラの点検は、穏やかな日中に行われているものばかりだった。嵐の夜に、わざわざ廊下カメラのレンズクリーニングを行うものだろうか。しかも、あの不鮮明な映像が記録される数時間前だ。
深町はもう一度、その行に目を凝らした。しかし、白神は既に別の画面へと移り、船内ネットワークのアクセスログを調べ始めていた。
「深町君、この時間帯に外部からの不正アクセスがないか、確認したい。そちらの端末で、ネットワークログを頼みます」
白神の声は、既に次の作業を指示していた。深町は一瞬、再び「カメラ3」の点検記録に視線を戻したが、白神の真剣な横顔を見て、口を開くのを躊躇った。彼は端末の画面を閉じ、言われた通りに隣の席に座り、ネットワークログの検索窓にキーワードを打ち込み始めた。そのログの隅に記された、簡素な「S.K.」のイニシャルは、彼らの視界から静かに消えていった。
「何か、気になることでも?」
白神が、深町のわずかな沈黙に気づいたように尋ねた。
深町は首を横に振った。
「いえ、何でもありません。すぐに確認します」
彼は、モニターに映し出された無数のIPアドレスと通信記録の羅列に目を向けた。その表情には、先ほどのわずかな疑問の影はもうなかった。白神は再びモニターに集中し、深町もまた、自分の与えられた作業に没頭した。セキュリティ管理室には、キーボードの打鍵音と、モニターの微かな電子音が響くだけだった。