第21節
船医の秘密

白神は、重厚な木のテーブルを挟んで篠崎麗の前に座った。組んだ指先を顎に当て、その視線は篠崎の顔に静かに据えられている。部屋の隅に置かれた簡素な椅子には、深町が背筋を伸ばし、膝の上で開いたメモ帳にペンを滑らせる準備を整えていた。そのペン先は、まるでこれから始まる尋問の重みを測るかのように、紙面すれすで微かに揺れている。船医である篠崎は、一点の乱れもない真っ白な白衣をまとい、その背筋はピンと張り詰めていた。彼女の表情は、まるで感情の波を一切寄せ付けないかのように、硬く閉ざされている。窓の外では、鉛色の空の下、荒れた海が依然として重くうねり、船体を揺らす鈍い振動が、時折、床から伝わってきた。波が舷側に打ち付ける音が、遠くで低く響いている。

白神は、その静寂を破るように口を開いた。「船長は、十五年前の事故について、あなたに何か話していましたか」彼の声は、まるで凪いだ海面のように穏やかだったが、その問いは、鋭利な刃物のように篠崎の平静を切り裂いた。部屋の空気は、一瞬にして凍り付いたかのように感じられた。

篠崎は、その問いかけに、一瞬だけ眉の動きを止めた。そのわずかな、しかし決定的な変化を、白神は決して見逃さなかった。彼の目は、獲物を追う鷹のように、彼女の顔の微細な動きを捉えていた。「……いいえ。特に。昔のことですから」彼女の声は、普段の落ち着きを保とうとするかのように、わずかに硬質になった。その言葉の端々には、微かな抵抗の色が滲んでいた。彼女は、視線を白神から逸らし、テーブルの木目に焦点を合わせようと努めているように見えた。

「そうですか。しかし、海堂船長は、あの事故の件で、少なからぬ心労を抱えていたと聞いています。特に最近は」白神は、手元の資料に視線を落とす。それは、海堂船長の日誌のコピーだった。ページをめくる音が、静かな部屋に小さく響いた。その資料の存在が、篠崎への無言の圧力を強める。

篠崎の指先が、膝の上で僅かに震えるのが、深町の視界の端に映った。深町は、その震えを、瞬き一つせず見届けた。彼女はすぐにその手を固く握りしめ、まるで何事もなかったかのように見せたが、深町のペンは、その動きを正確にメモ帳に書き留めていた。カツ、と小さくペン先が紙に触れる音がした。「船長の健康管理は私の職務です。確かに、血圧が高めでしたし、睡眠導入剤も処方していました。精神的なストレスは、身体にも影響を及ぼします」その声は、最初のわずかな硬さから一転、少しだけ高くなり、まるで自身の職務を盾にするかのように、言葉に力が込められていた。彼女は、白神の視線から逃れるように、わずかに顎を引いた。

「睡眠導入剤。それは、どなたかに依頼されて処方したものでしょうか。それとも、船長ご自身の希望で?」白神は資料から顔を上げ、再び篠崎の目を見据えた。その瞳は、一切の感情を読み取らせない、深い湖のようだった。部屋の照明が、彼の顔の輪郭をくっきりと浮かび上がらせる。

篠崎は白神の視線から、ゆっくりと顔を逸らした。その頬に、わずかに朱が差したように見えた。それは、一瞬のことで、すぐに元の色に戻ったが、深町はそれも克明に記録した。彼のペンは、紙の上を滑るように走り、その音だけが、部屋の緊張感をさらに際立たせた。「船長ご自身が、最近寝つきが悪いとおっしゃっていました。私が診察し、必要だと判断したものです」彼女は言葉を選び、丁寧な口調を保っていたが、その声音にはどこか防衛的な響きがあった。まるで、見えない壁を築こうとしているかのように、彼女の言葉は慎重に紡がれた。

「処方された睡眠導入剤は、どの程度の量でしたか。また、それは通常使用されるものと比べて、特別に強力なものでしたか」白神は、畳み掛けるように問い続けた。彼の言葉は、まるで波が岸辺を削るように、篠崎の平静を少しずつ侵食していく。

篠崎は一度、大きく息を吸い込んだ。その胸が、白衣の下でわずかに膨らむのが見て取れた。彼女は、その息をゆっくりと吐き出し、自らを落ち着かせようとしているようだった。「通常の範囲内です。ごく一般的なもので、過剰な量ではありません」その答えは、以前よりも語尾が強くなっていた。彼女は、テーブルの端を両手で強く握りしめ、その指の関節が白く浮き上がっていた。

「船長が、あなたに何か秘密を打ち明けようとしたことはありませんか」白神の質問は、再び十五年前の事故へと戻った。その言葉は、まるで深海の底から響いてくるかのように、重く、そして冷たかった。

篠崎は、テーブルの端を、ほとんど無意識に指でなぞった。彼女はもう白神の目を見ようとはしなかった。その視線は、虚空をさまよっている。「秘密、ですか……。船長は、多くを語る方ではありませんでした。ただ、時折、遠い目をして、海の向こうを見つめていることがありました。それは、十五年前の事故を思い出しているのか、あるいは……」彼女は言葉を途中で切り、口を閉ざした。その口元は、何かを押し殺すかのように、きつく結ばれていた。船体の軋む音が、沈黙を破るように響いた。

「あるいは、何でしょう」白神は沈黙を破り、静かに促した。彼の声は、まるで彼女の心の内側を覗き込むかのように、静かで、しかし有無を言わせぬ響きを持っていた。

篠崎は、再び顔を上げた。その目は、白神ではなく、深町の背後にある壁の一点を見つめていた。その視線は、まるでそこに何か答えがあるかのように、固定されている。「……いいえ。私の憶測に過ぎません。お話しすることはありません」彼女は首を横に振り、きっぱりと答えた。しかし、その声は、最初よりもずっと細く、震えを帯びていた。両の拳は、膝の上で白くなるほど強く握りしめられていた。その震えは、白衣の袖を通して、深町の目にもはっきりと映った。深町は、その変化を克明に書き留めた。ペンの走る音が、彼女の心の動揺を代弁しているかのようだった。

白神はそれ以上問い詰めることなく、黙って篠崎の表情を観察した。彼の視線は、彼女の顔の微細な変化を、一つ残らず捉えようとしている。篠崎は再び視線を伏せ、まるで何かから逃れるように、深く息を吐き出した。その肩は、わずかに落ちた。「わかりました。本日はありがとうございました。またお話を伺うかもしれません」白神はそう言って、椅子を引く音を立てて立ち上がった。その音は、尋問の終わりを告げる合図のようだった。

篠崎は、礼を言う白神の声に、ほとんど反応することなく、硬い表情のまま、ただ深々と頭を下げた。その動きは、どこか不自然にぎこちなく、まるで糸の切れた人形のようだった。部屋を出る白神と深町の背中に、彼女の視線が向けられることはなかった。ドアが静かに閉まる音が響き、部屋には再び重い沈黙が訪れた。篠崎は、その場にじっと座り続け、まるで時間が止まってしまったかのように、微動だにしなかった。彼女の視れた視線は、まだ壁の一点に固定されたままだった。