第14節
船長室の痕跡

白神は船長室の重厚な木製家具が並ぶ空間を、ゆっくりと、しかし淀みなく歩き回っていた。床板の軋む音や、遠くで波がぶつかる低い轟音が規則的に響く中、彼の足音だけが、まるでこの部屋の歴史に敬意を払うかのように静かだった。部屋の中央には、磨き上げられたマホガニー製の執務机が堂々と据えられ、その周囲には、使い込まれた革張りのアームチェアや、真鍮の金具が光る書棚が整然と並んでいた。壁には、古びた油絵や、航海の安全を願うかのような聖母像が飾られ、その一つ一つが、この船の長い歴史を物語っているようだった。

白神の知的な眼鏡の奥の目は、壁に飾られた黄ばんだ羊皮紙の古い海図の皺の一つ一つ、書棚に収められた分厚い航海日誌の背表紙に刻まれた文字、そして被害者の座っていた執務机の表面に残された僅かな擦り傷に至るまで、その全てを記憶に刻み込もうとしているようだった。彼の視線は、まるで精密なスキャナーのように、部屋の隅々までを丹念に捉えていた。机の上には、開かれたままの航海日誌と、使いかけの万年筆が残されており、その配置からも、持ち主が突然その場を離れたかのような気配が漂っていた。

深町は、白神の動きを追うように、デジタルカメラのレンズをあちこちに向けていた。シャッターを切るたびに、小さな電子音が船体の軋みや波の轟音に紛れて響く。彼は、被害者の残した物品、例えば机の上のインク壺や、壁に掛けられた船長の制服のボタンの光沢まで、細部にわたって記録していた。船体は依然として春の嵐に揺られ、時折、大きく傾ぐたびに、部屋の調度品が微かに音を立てる。窓からは、厚いベルベットのカーテン越しにかすかに外の荒れた海の色が見え隠れしていた。鉛色の空と、荒れ狂う波頭が、まるでこの船の運命を暗示するかのように、重苦しい雰囲気を醸し出していた。

白神はしばらく海図の前で立ち止まり、その表面を凝視していた。黄ばんだ羊皮紙に描かれた、幾重にも折り重なった等深線、そして手書きで記された航路の跡。その表面には、長年の使用によって刻まれた無数の皺が、まるで海の記憶のように深く刻まれていた。彼は手袋をはめた指先で、紙の質感を確かめるように、丹念に表面を滑らせた。その指先が、海図の右下隅、おそらくは窓に近い位置だろうか、そこだけが周囲とは異なる、微かな湿り気を帯びたような部分で止まった。指先で触れると、紙の繊維がわずかに膨らんでいるのが感じられる。それはまるで、つい先ほどまで何らかの液体が付着していたかのような、生々しい痕跡だった。

「…これは、」白神は小さく呟いた。彼の声は、波の音にかき消されそうになるほど微かだったが、その口調には確かな発見の響きがあった。
深町は、その声に反応してカメラを海図に向けた。「何か、手がかりが?」
白神は答えることなく、手帳を取り出し、そこに何かを書き込み始めた。彼のペン先が紙の上を滑る音だけが、しばし部屋に響いた。その間も、船は大きく揺れ、窓の外の荒れた海は、その猛威を増しているかのようだった。

深町は、白神の作業を邪魔しないよう、再び床に視線を落とした。そこには、床に散らばったガラス片が、まるで星屑のように、鈍い光を反射していた。彼はそれらを再度カメラに収めていた。それは、以前に確認された六分儀の分厚いレンズが砕けたものとは明らかに異なり、より薄く、そして無色透明だった。大きさもまちまちで、最大のものは小指の爪ほど、最小のものは砂粒のようだった。深町は膝をつき、腰から取り出した小型のルーペを手に取った。ルーペのレンズ越しに、深町はガラス片の透明な表面に刻まれた、肉眼では捉えきれないほどの微細な傷跡を注意深く観察した。

それは、一点から放射状に広がるようなパターンではなく、むしろ何かが擦り付けられたかのような、不規則な線状の痕跡だった。光の角度を変えるたびに、その傷跡がわずかに輝き、まるでガラスの内部に閉じ込められた記憶を語りかけてくるかのようだった。深町は、息を詰めてその傷跡を追った。指で触れても感じられないほどの微細な傷だが、ルーペを通すと、その深さや方向性がはっきりと見て取れる。彼は、そのガラス片を慎重にピンセットで拾い上げ、証拠品袋に収めた。その時、船体が一段と大きく揺れ、部屋の隅に置かれた花瓶がガタッと音を立てた。深町は一瞬、バランスを崩しかけたが、すぐに体勢を立て直し、再び床に目を凝らした。まだ見落としている破片があるかもしれない。彼の目は、床の木目一つ一つを追うように、執拗にガラスの輝きを探していた。嵐の轟音は一層激しさを増し、船長室はまるで嵐の目の中にいるかのような、奇妙な静寂と緊張感に包まれていた。白神は海図から顔を上げ、深町の作業を見守っていた。彼の表情は変わらないが、その視線は、深町の発見に静かな期待を寄せているかのようだった。深町は、もう一つ、小さな、しかし特徴的な形状のガラス片を見つけ、それを慎重に拾い上げた。それは、他の破片とは異なり、わずかに湾曲しているように見えた。彼はルーペを再び構え、その湾曲した表面に刻まれた傷跡を、さらに詳細に調べ始めた。嵐は止む気配を見せず、船は荒波にもまれながら、未だ暗い海を漂っていた。